「神様の愛い奴」を見て、うへぇ、と言わされて以来、しばらく遠ざかっていた根本敬だが、文庫版で「解毒波止場」に再会。
図版は一切ない。
図版がたくさん載った単行本が出た頃、世間はまだサブカル華やかなりし頃、バブル景気だったろうか。はじけてしぼみかけていたか。
あの頃に比べて因果海峡は、日本の下品さは、どう、うつろったのだろう。
かつて「こっち」に対する「あっち」だった因果界は、より親しく日常の視界の中にある。彼我を分けているのは壁や山脈ではなく、半透膜であり、あやうい浸透圧のようなもので。
因果界を蔑むか親しむか、感じるものが好奇心か無関心か嫌悪か愉快か知らないが、ないことにはならず、まじりあって同じ世間にあることを、もう知っている。
自分もまた因果者でありうることを知っている。
それは悪いことではないのだろう。
きれい事も下品も、螺旋状に変態した。
当時より厄介なことになってるかもしれない。
それにしても、あの頃の根本敬らのような人物の意味とはどういうものだったのだろう。
「こちら」だったのか「あちら」だったのか。
アジテーターか、妖精か。
連絡係長みたいなものか。
根本敬
人生解毒波止場


奥崎謙三(出演)
神様の愛い奴

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