あるきっかけで天袋から引っ張り出して、しばらくぶりに読み返した。
そうしたら、意外なほどはっきりと文章を覚えていた。
「エスキモーの白熊狩り」だの「ホッテントットのヒマラヤ攻め」などというフレーズも記憶していた。
あれっ。
この『社会学・心理学』は私の生まれる前に書かれている。
改めて巻末年譜でそう確認したら、なぜか驚いた。
アタマのどこかで、筒井康隆が同世代であるかのような錯覚をしているようだ。
年譜によれば、発表は昭和四十四年。当時著者三十五歳。
そりゃそうだ。筒井康隆は昭和九年生まれなのであって、年譜を読むまでもなく、冷静に考えたら同世代なわけがない。
今や立派な爺さんなのである。
作品中の「現代」世相だって、サイケやら安保闘争やら、むしろ親の青春時代のそれである。
しかし、気を抜くと脳が計算違いをしてしまう。
長年ファンでいて、もちろん年齢も風貌も知っているのに、そうした錯覚が抜けきらない。
十代の若い頃に文庫本が出るたび買って読んでいたせいだろうか。
筒井文学の青春期に、十代の青春期というタイミングで出会ったからだろうか。
同じ頃にやはり夢中になって読んだ星新一や小松左京に対しては「大人の人」という感覚があったように思うし、計算違いはおこらないので、不思議である。不思議だが、めんどうくさいので分析するのはおっくうである。
ひょっとして、十代の頃に太宰にはまってた人なんかも、そんな計算違いの感覚があるのだろうか。
筒井康隆
社怪学・心狸学

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